分子生物学との出会い
医学部に入学してすぐの頃、軽音楽部の先輩に誘われて分子生物学研究会に参加しました。ワトソンの『組換えDNAの分子生物学』を輪読し、中山敬一先生や大槻磐男先生の研究室で実験の手ほどきを受ける日々。まだ何を研究したいかは定まっていませんでしたが、自分の手で仮説を検証できることの面白さに、夢中になっていました。
師匠との出会い、脳卒中研究への一歩
転機は、九州大学病態機能内科学(旧第二内科)の大星先生の講義でした。「脳梗塞の遺伝子治療を開発しているから、興味があったら見に来て」。その一言に惹かれて研究室を訪ねたのが、脳卒中研究の始まりです。見に行っただけのはずが、気がつけばそのまま医局に住み着いてしまいました。
脳卒中は、日本人の死因の上位を占め、寝たきりの原因としても最も多い疾患です。脳の血管が詰まったり破れたりすることで、一瞬にして多くの神経細胞が失われてしまう。けれど当時、脳卒中に対して発症後にできる治療はほとんどありませんでした。「脳が壊れた後に、何かできることはないのか」——大星先生が挑んでいたのは、まさにその問いでした。
学生時代の実験——IL-10の脳保護効果
医学部4年生から6年生にかけて、夏休みや春休みを使って実験に没頭しました。取り組んだのは、脳虚血後の遺伝子治療です。
脳の血流が途絶えると、神経細胞が死ぬだけでなく、炎症反応が連鎖的に広がり、さらに多くの神経細胞を傷つけていきます。私たちは、強力な抗炎症作用を持つサイトカインであるインターロイキン10(IL-10)に着目しました。
実験では、ラットの両側頸動脈を一時的に閉塞して全脳虚血を起こした後、アデノウイルスベクターを用いてIL-10遺伝子を脳室内に導入しました。脳虚血によって最も傷つきやすい海馬CA1領域の神経細胞を観察すると、IL-10を導入したラットでは神経細胞の脱落が明らかに軽減されていました。さらにTUNEL染色でDNA損傷を評価したところ、アポトーシスに陥る細胞も大幅に減少していたのです。
脳が虚血に陥った「後」からでも、炎症を抑えることで神経細胞を守れる——この結果は、脳卒中治療に新たな可能性を示すものでした。
図:IL-10による海馬CA1領域の神経保護効果
全脳虚血後にIL-10遺伝子を脳室内に導入すると、海馬CA1領域の神経細胞の脱落が軽減され、TUNEL陽性(アポトーシス)細胞も減少した。IL-10による炎症抑制が脳保護をもたらすことを示している。
Original Paper
Postischemic Gene Transfer of Interleukin-10 Protects Against Both Focal and Global Brain Ischemia
Ooboshi H, Ibayashi S, Shichita T, Kumai Y, Takada J, Ago T, Arakawa S, Sugimori H, Kamouchi M, Kitazono T, Iida M.
Circulation. 2005; 111: 913–919.
世界の舞台へ——Brain 2005
2005年、この研究成果をアムステルダムで開催された国際脳循環代謝学会(Brain 2005)で発表する機会を得ました。世界中から集まった脳卒中研究者たちと議論を交わし、最先端の研究に触れる中で、強く思ったことがあります。
「私も、世界と一緒になって脳卒中研究を実践したい」
あの学会での高揚感は、今でも鮮明に覚えています。
神経免疫学への扉
この研究を通じて、一つの確信を得ました。脳卒中のダメージは、血流の途絶だけで決まるのではない。その後に起きる炎症反応——免疫の応答が、脳の運命を大きく左右しているのだと。
IL-10による炎症抑制が脳保護効果をもたらすことを自らの手で証明できたこの経験が、「脳の炎症と免疫」を研究の軸に据える原点となりました。脳卒中後の神経炎症を理解し、それを制御することで脳を守り、さらには修復へと導く——この問いへの挑戦が、ここから始まったのです。