脂質に注目した理由
前回の研究で、脳梗塞後の炎症を収束させるメカニズムを明らかにし、Am80による治療効果を示すことができました。しかし、炎症の収束はあくまで「修復の前段階」に過ぎません。私たちが本当に知りたかったのは、脳が自ら修復を開始するメカニズムそのものでした。
死んだ細胞からDAMPs(炎症を開始させる脳内因子)が放出されて炎症が起きるのであれば、修復を開始させる脳内因子も存在するはずだ——この仮説に基づき、脳梗塞後の脳抽出液を質量分析にかけ、修復を誘導できるタンパク質を網羅的に探索しました。しかし、タンパク質の中からは、修復細胞を誘導できる決定的な因子を見つけることができませんでした。
行き詰まりを感じていたとき、発想を変えて脂質に注目しました。組織損傷後には細胞膜の破壊に伴って大量のリン脂質が遊離し、様々な脂肪酸代謝物が生成されます。炎症を制御する脂質は数多く報告されていましたが、神経修復を「開始」させる脂質はまだ知られていませんでした。ちょうど私の医学研の部署の前任者が、著名な脂質研究者の村上誠先生でした。この幸運な巡り合わせのおかげで共同研究をお願いすることができ、村上先生が長年にわたって確立された脂質解析技術を駆使して、脳内の脂質を網羅的に解析する道が開けたのです。
ジホモγリノレン酸の代謝物が神経修復を開始させる
脳梗塞モデルマウスの脳組織から脂質を抽出し、村上誠先生が確立された質量分析技術を用いて、脳梗塞発症から1週間後までの脂質組成の時間変化を詳細に解析しました。その結果、脳梗塞発症3日から6日後にかけて、多くの不飽和脂肪酸の量が増加していることがわかりました。
次に、細胞膜のリン脂質から不飽和脂肪酸を切り出す酵素であるホスホリパーゼA2(PLA2)の各サブタイプに着目しました。PLA2にはおよそ50種類のサブタイプが存在しますが、脳梗塞後に発現が顕著に増加するサブタイプとしてPLA2G2Eを同定しました。各PLA2サブタイプの欠損マウスを用いて脳梗塞後の神経症状を評価したところ、PLA2G2E欠損マウスでのみ、神経症状の悪化と梗塞体積の増大が見られました。
野生型マウスとPLA2G2E欠損マウスの脳梗塞巣周辺部の遺伝子発現を比較すると、PLA2G2E欠損マウスでは炎症関連遺伝子の発現が増加する一方、神経修復に関わる遺伝子群の発現が著しく低下していました。さらに、PLA2G2E欠損マウスの脳内で量が顕著に低下していた脂肪酸が、ジホモγリノレン酸(DGLA)でした。PLA2G2Eは死んだ細胞の表面に露出したホスファチジルセリンを優先的に代謝して、DGLAとその代謝物を産生していたのです。これらの解析は、村上誠先生が長年にわたって確立してこられた脂質メタボロミクス技術の賜物でした。
図:PLA2G2EによるDGLA産生と神経修復の概要
脳梗塞巣周辺部の神経細胞から分泌されたPLA2G2Eが、死んだ細胞の膜残骸(ホスファチジルセリン)を代謝してDGLAと15-HETrEを産生する。PLA2G2E欠損マウスではDGLAの産生が減少し、神経修復が障害される。
DGLA代謝物は神経細胞にPADI4を誘導して修復を開始させる
PLA2G2E欠損マウスの脳梗塞巣周辺部で、最も発現が低下していた遺伝子がシトルリン化酵素PADI4でした。PADI4は、ヒストンタンパク質のアルギニン残基をシトルリンに変換することで、クロマチン構造を弛緩させて遺伝子の転写を活性化させる「グローバルな転写調節因子」として知られています。しかし、脳梗塞後の神経細胞における機能はまったくわかっていませんでした。
免疫組織染色により、脳梗塞発症2〜4日後の梗塞巣周辺部に生き残った神経細胞でPADI4の発現が確認されました。さらに、ヒト脳梗塞患者の脳組織でも同様にPADI4陽性の神経細胞が観察され、マウスモデルの知見がヒトにも当てはまることが示されました。
神経細胞特異的にPADI4を欠損するマウスを作製して解析したところ、脳梗塞後の神経症状が悪化し、梗塞体積が増大していました。この研究の重要なブレークスルーとなったのが、酒井誠一郎さんが確立した、セルソーターによる成体脳からの神経細胞の単離法です。この技術により、脳梗塞巣周辺部から神経細胞だけを高純度で分離し、シングルセルRNA-seqやバルクRNA-seqによる遺伝子発現解析が可能になりました。
シングルセルRNA-seq解析の結果、野生型マウスでは脳梗塞4日後のグルタミン酸作動性神経細胞のほぼ全てのクラスターで、神経系の再構築やシナプス形成に関わる遺伝子群の発現が増加していました。特に、クラスター4と名付けた神経細胞集団は、NR4A2、BDNF、KITLなどの神経保護・神経栄養因子を高発現する「修復型」の神経細胞であり、PADI4の発現に依存して出現していました。PADI4を欠損した神経細胞では、こうした修復関連遺伝子の発現がほとんど見られませんでした。
ATAC-seqとCUT&Tag解析により、PADI4によるヒストンのシトルリン化が、修復関連遺伝子の転写調節領域に集中して起きていることも確認されました。つまりPADI4は、神経修復に必要な遺伝子群のクロマチンを選択的に「開いて」、修復プログラムを一斉に始動させるマスターレギュレーターとして機能していたのです。
DGLAや15-HETrEの投与で脳梗塞後の機能予後が改善する
DGLAが神経修復の鍵であることがわかったので、次にDGLAのどの代謝物がPADI4の発現を最も強く誘導するかを調べました。培養神経芽腫細胞にさまざまな脂肪酸代謝物を添加してPADI4プロモーターの活性を測定した結果、DGLAの代謝物である15-HETrE(15-hydroxy-eicosatrienoic acid)が最も強いPADI4誘導活性を示しました。
脳内での15-HETrEの分布を質量分析イメージングで可視化したところ、15-HETrEは梗塞巣そのものよりも、梗塞巣周囲の生存脳組織に多く分布していました。まさに、修復が必要な場所に、修復を開始させる脂質が集積していたのです。
PLA2G2E欠損マウスにDGLAを経口投与すると、梗塞巣周辺のPADI4陽性神経細胞が増加し、神経症状が野生型マウスと同等のレベルまで改善しました。さらに、15-HETrEを脳梗塞発症24時間後から静脈投与したところ、コーナーテストやシリンダーテストで評価した長期的な神経症状が有意に改善し、脳梗塞28日後の梗塞体積も有意に縮小していました。15-HETrEの投与によって増加したPADI4陽性の神経細胞はNR4A2やBDNFを共発現しており、修復型の神経細胞が形成されていることが確認されました。
この治療効果は、高齢マウス、雌マウス、光血栓モデルマウスでも確認され、一方で神経細胞特異的PADI4欠損マウスやPPARγ欠損マウスでは消失しました。つまり、15-HETrEはPPARγシグナルを介して神経細胞にPADI4の発現を誘導し、修復を促進していたのです。
図:脂肪酸代謝物による脳の自律的修復メカニズムの全体像
脳梗塞後、梗塞巣周辺部の神経細胞から分泌されたPLA2G2Eが、死んだ細胞のホスファチジルセリンを代謝してDGLAと15-HETrEを産生する。15-HETrEは梗塞巣周囲の生き残った神経細胞にPPARγを介してPADI4の発現を誘導し、ヒストンのシトルリン化を介して神経修復プログラムを始動させる。DGLAや15-HETrEの投与は、この内因性修復メカニズムを強力に増強する。
DGLAは食事から摂取可能な脂肪酸であり、経口投与でも脳内に蓄積することが報告されています。食事で脳を治す——そのような新しい治療法の開発が現実的に可能だと、私たちは考えています。
Original Paper
PLA2G2E-mediated lipid metabolism triggers brain-autonomous neural repair after ischemic stroke
Nakamura A*, Sakai S*, Taketomi Y, Tsuyama J, Miki Y, Hara Y, Arai N, Sugiura Y, Kawaji H, Murakami M, Shichita T.
Neuron. 2023; 111: 2995–3010.
*co-first authors